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2007年6月29日 (金)

宝石箱の蓋

もぅ彼此何年くらぃになるでしょうか。
“口は災いの元”を私が心から信じるよぅになったのは。。。

恐らくは、小学4年の3学期の時点で既に備わっていたものと思われる、そんな年季の入った諺【ことわざ】に、言葉を選ぶよりも会話を避ける方法を取ってきた私。

一番酷かったのはやはり短大時代。
親元から離れ、自由気儘な学生Lifeを送るものと誰しも想像するこの時期に、私はひとりお部屋でTV&ゲーム三昧。(こりゃ恐ろしぃ)
大学から直帰し、部屋にこもる私を見ていた大家さんは、甚だ見当違いの私像を作り上げ、

「あの子は、今時珍しくよく勉強する子だ。」
「他の子とは、目が違うね。目が」

なんて、ご大層な誉め言葉を会う度に伝えてくる、素敵(?)大家さんだったのだけど...申し訳ないことに、私は多分誰よりも堕落した生活を送っていたのね。(ごめんなさい)
そんな私だったから、当然の如くサークル活動には一切参加せず、講義以外の接触をなるたけ避けてたあの時は、そりゃ災いなど降ってくることもなかった。(当然だけど)
が、卒業後、就職し社会人ともなると、これまでのようでは通用しなぃ。(当たり前)

「嫌だ 嫌だ」で通るはずもなく、コミュニケーションは必須。よって、私は完璧外向きの自分を演じ、とりあえず しゃべり しゃべり 言うことなかったら思い浮かんだことを口に出し、、、 とやってきたのですが、これがまぁちょいちょい失敗するのなんのって。

まだ、しゃべり しゃべり の段階では言葉に気を配る余裕がある。が、口にすることがなくなってテンパりだすと、“思い浮かんだこと = ひたがくしにしている私の本音”が暴露。
と、なると結果はおのずと“災い投下”。
これを何度経験したことか、、、 “私は恥をかくために生まれてきたのか?”と思わないではいられなぃ状況を散々体験し、今なおそれは進行中。

大概思うことが歪んでる私。“そりゃ聞く側も耳を塞ぎたくなるだろぅよ”的な発言は、口から出る際、内容に比例して汚ぃ物言いに。。。
そんな口汚さを、親兄弟はさんざ指摘。それでも一向に品良くならなぃ私の言葉遣いに、彼らも今では諦めmode.

が、つい先日“これでは自分が荒む一方”とぃうことに気付いた私は ← 遅いよ!
心改め、汚い言葉をmy Dictionaryから消去。代わりに今まで恥ずかしくて言えずにいた感謝の気持ちを口にすることに。。。
が、これがなかなか言おうと決めて言えるもんでもなく、、、 ねぇ?(わかるでしょ?)
それでも、“自分が言われて嬉しいことは、きっと相手も嬉しいはず”と、半ば呪文のように言い聞かせ、実行しようとしている私の心は、少しは洗われているのかしら?

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